城にはそれぞれ、魅力と見どころがあります。
他の城を見ると違いもわかり、見るのがますます楽しくなります。
建築や歴史に触れると、また違う魅力が生まれます。
もちろん、知らなくても単純に、大きい!格好いい!と、見て楽しめるのも城。
たまには近くにある城や、気になる城に行ってみましょう。
どこの城を見たらいいの?
わたしたちが旅先で見かける城の多くは、安土桃山時代以降のもので、平城(ひらじろ)、平山城(ひらやまじろ)と呼ばれ、軍事・政治の中心となっていたものです。
世界遺産に認定されたものや、国宝に選ばれたものもあります。
出典:松山城公式
有名な城の近くに旅する機会があれば、ぜひとも立ち寄りたいものです。
また、わざわざ遠くの城まで行かなくても、身近な場所にあまり知られていない城や、古い城跡があったりします。
ネットで検索するのもよいですが、地元の図書館の地域資料コーナーや、郷土史資料館などを覗いて、近くにある城や城跡を探してみましょう。
出典:姫路城公式
天守について
「天守」は、昔「天主」「殿守」(いずれも「てんしゅ」と読みます)などと表記され、城主が居住する御殿の上に、物見の台をつくったのが起源といわれます。
私たちがよく知っている、大きく豪華な天守が初めて建てられたのは、諸説ありますが天正7年(1579年)に完成した織田信長の安土城といわれています。
信長は自分の権力の象徴として天守をつくったとされ、その後、豊臣秀吉によって作られた大阪城など、天守は「城郭のシンボル」「権力の象徴」の意味も持つようになりました。
出典:姫路城公式
天主閣(てんしゅかく)という呼び名は、明治時代前後に見られるようになったもので、現在も天守が正しい呼び名です。
ところで皆さん、天守とは城のどの部分を指すのか、ご存じでしょうか。
「天主閣に登る」などという言葉がよく使われているため、建物の最上部、一番上の階のことを天守と勘違いされている人が結構多いようですが、実は天守とは、城の主要部のことを指します。
城には、一番外側に「三の丸」という城壁・堀・屋敷で構成された囲いがあります。
次に、その内側に同じように「二の丸」という城壁・堀・屋敷などの建造物による囲いがあります。
そして最後に「本丸」という囲い(御殿・天守閣)があり、そのすべてを指して城となります。
そして、本丸の狭い囲いの中の、中心となる建物(2層から5層程度が多い)が天守と呼ばれる場所なのです。
戦闘のための機能
基本的に、城は戦闘のための要塞です。
このことを頭の隅に置いておくと、城を観察する視点も変わってきます。
戦闘のための要塞としてもっとも重要な機能は、敵の侵入を阻んだり、反撃をしたりすることです。そのため、城の各所には敵が攻めにくいような、さまざまな工夫が凝らされています。
それを、たとえば城を「攻める」敵側の視点でじっくり観察してみると、攻め手にとってなんとも嫌な仕掛けがいろいろあることに気づかされます。
たとえば、城郭の出入り口。
ここには、攻め手の勢いを削ぐ仕掛けがなされています。
「枡形(ますがた)虎口」(外門の内側に四角形「枡形」の広場を設け、三方を土塁または塀で囲ったもの)や「食違い虎口」(石垣を平行ではなく、食い違いにすることによってまっすぐ進めなくする)などの工夫された構造。
石垣に張り付いた敵兵を横から射るための横矢掛けや屏風折れなど、さまざまな特徴が見えてきます。
また、城内にいくつも建てられている城門の形状を、観察するのも面白いでしょう。
寄せ手が直進できないように、時には迷路のように配置することで、主郭、本丸へたどり着くことを困難にする役割を担っていました。
出典:松本城公式
それから、石垣。
石垣はただの城壁ではなく、敵兵が登れないように反り返っています。時代によって石の加工方法や積み方などの違いがあります。
こういった構造は、時代とともに形式も異なっているため、そんな知識を少し仕入れてから出かければ、目の前にある城郭や城門、石垣が全く違った存在に見えてきます。
自然の地形を活かした工夫の数々
城めぐりの楽しみは、城の背景を知ることで、さらに広がります。
城がたどってきた歴史は、戦いの歴史でもあり、波乱に満ちています。
城がそこに作られた意味、役割や城主のことについて知ることで、目の前の風景が歴史の現場となります。
今では建造物がほとんど残っていませんが、石垣や天守が城づくりに採用される以前の時代に建てられた山城と呼ばれる城や、その跡なども、堀や土塁などを観察することで、当時の様子が浮かび上がってきます。
出典:宇和島城公式
水が張られている(いた)水堀、水の張られていない(からぼり)。天然の河川を上手く利用したもの。そんな違いを観察するのも面白いでしょう。
こうした河川を上手く利用できる場所を選んで、城が作られたケースも多かったようです。
また、中世(鎌倉・室町時代)の城は、その大部分が山城であったため、水を溜めることができず、堀は水のない空堀がほとんどでした。
この空堀にも「堀切」(敵の接近を阻むために、山の尾根筋を横にV字型に掘って分断した空堀)や「竪堀」(敵の横移動を阻むために、山の斜面に沿って竪に掘った堀)といった種類があり、目の前の空堀が、どのような意図で作られたかを観察するのも面白いでしょう。
日本の城で行われた最後の戦いは?
天守が戦時のための施設として機能したのは、安土桃山時代末期までのこと。
信長が建てた安土城の天守は、戦いのためというより権力の象徴としての色合いが濃く、戦いのなくなった江戸時代以降には、城の象徴としての存在以外あまり意味がなくなり、実際に使用されることも少なくなっていたともいわれています。
出典:松江城公式
城が最後の戦いの舞台となったのは、日本の歴史上最後の内戦となった西南戦争。難攻不落の熊本城を攻めあぐねた西郷隆盛は、自害する直前に「わしは官軍ではなく、清正公に負けたのだ」と言ったと伝えられています。(熊本城は、その250年以上も前に、加藤清正によって築城されていました)
城建設には、どのくらいの年月が?
城の大きさや建設にかかわる人員によって、建設にかかる期間はさまざまですが、日本にある城で、建設期間が一番長かった城は、江戸城と言われています。
徳川家康が江戸に入り、江戸城の築城に着手したのは慶長4年(1604年)。
家康の代では完成せず、二代秀忠、三代家光の時代も江戸城建設と周りの開発は続けられ、すべてが完成したのが寛永13年(1636年)といわれています。
つまり、建設期間32年間を費やして築城されたのです。これだけ長い期間を費やすことができたのは、天下泰平のあかしといえるでしょう。
天守にも種類があります
現在、城に建っている「天守」には、その状態や経緯からいくつかの分類があります。
現存天守
江戸時代や、それ以前からの天守が残る城のこと。
つまりオリジナルが残っている城のことです。今では全国に以下の12城を残すだけとなりました。
弘前城(青森)、松本城(長野)、丸岡城(福井)、犬山城(愛知)、彦根城(滋賀)、姫路城(兵庫)、松江城(島根)、備中松山城(岡山)、丸亀城(香川)、
伊予松山城(愛媛)、宇和島城(愛媛)、高知城(高知)
出典:松本城公式
復元天守
明治以降に、元の位置に再建された天守をさします。
古文書・古写真を元に、忠実に外観が再現されています。
会津若松城、名古屋城、熊本城などが有名です。
出典:会津鶴ヶ城公式
復興天守
こちらも、明治以降に元の位置に再建された天守ですが、古文書・古写真などが不足していたため、外観を推定しながら再建したもので、当時の姿とはやや異なっている可能性もあります。
大阪城、小田原城、岡崎城などがあります。
出典:小田原城公式
模擬天守
明治以降に建てられた天守です。
城は実在したが、元々天守のなかった城や、天守が存在したかどうか不明な城に建てられた天守のことを指します。
いちばん背が高い天守は?
「現存天守」なら姫路城、松本城、松江城の順。
「再建天守」なら大阪城、名古屋城、島原城の順となっています。
ちなみに姫路城の天守の高さは、31.5m。大阪城は37.5mあります。
出典:姫路城公式
googleストリートビューで城を見よう!
直接足を運ぶことの難しい遠くの城でも、googleストリートビューを使えば、手軽に楽しむことができます。
城のまわりは公園のように整備されているところが多いので、机の前にいながらにして、気分転換の瞬間散歩も楽しめます。
小田原城や弘前城のように、桜の時期に撮影されている場所も多く、城見物といっしょにお花見までできちゃいます。
また、姫路城や名古屋城など、ストリートビューの進化系であるインドアビューで内部までみることができる城も増えています。
これはすごい!
まとめ
出典:弘前城公式
いかがでしたか。
日本の城は観光スポットとして人気ですが、歴史的資料の展示、四季折々の自然豊かな公園など、見どころは沢山あります。
事前にチェックして、城巡りを満喫してくださいね!