どこの国も同じ!女達の王宮泥沼バトルの歴史は恐怖! ~武則天、禧嬪張、アン・ブーリン~

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第35話

歴史上の記録に残る王宮における女達のバトルは、凄惨でドロドロです。
しかも、東洋西洋問わずそれは変わりません。
今回は映画やドラマにもなった、歴史上に残る世界の女達のバトルを見ていきましょう。

【中国編】武昭儀(のちの女帝武則天)vs王皇后

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中国史において唯一の女帝、武則天。(則天武后)

はじめ唐の時代、2代皇帝太宗の「才人(さいじん)」(後宮の身位。側室)であった武照。(武媚娘とも)

しかし、彼女は太宗の息子の(のちの3代皇帝となる)高宗に見初められると人生が一変しました。

太宗亡き後、後宮から多くの女性が追い出され、殉死や出家を余儀なくされました。高宗の力もあって、武才人は何とか出家ですみました。しかし中々はじめ後宮には戻れませんでした。

なにせ高宗が皇帝になったとはいえ、「父の女」を後宮に迎え入れるには大変だったのです。
周囲には猛反対されますし、高宗には正式な妻である王皇后らもいたからです。さらに王蕭淑妃(しょうしゅくひ)という愛妾がいたりと、武媚娘にとって周りは敵ばかりだったのです。

しかしチャンスが到来しました。

当時の後宮では、王皇后と蕭淑妃が対立しており、劣勢の王皇后が皇帝の気を引こうとして武媚娘を後宮に宮女として呼び入れたのです。はじめこそ王皇后は、やっと皇帝が自分に会いてくれたとぬか喜びします。

しかし、結局高宗の愛は、武媚娘1人の物となってしまい、王皇后は後悔するはめになりました。また武媚娘が「昭儀」という後宮の称号を得ると、このままではマズイと思った王皇后は、まさかの蕭淑妃とタッグを組み、武媚娘の排除を画策しました。

王皇后には実子がいない為、蕭淑妃の皇子・李素節(りそせつ)※を養子、さらに太子にして次代での権力掌握を考えました。(※)李素節以外の者を太子にという説もアリ

しかし、頭の良い武媚娘は身の危険を察知して、先手を打ちました。

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高宗と武媚娘の間には皇女が生まれますが、何ならかの理由で生まれて間もなくその子は亡くなってしまいました。悲しむ武媚娘の恨みを晴らそうと、高宗は怒り心頭です。

そして状況証拠から王皇后と蕭淑妃が怪しいとされて、2人は亡くなってしまったのです。

ちなみに、2人は当時、武媚娘を呪詛したとも嫌疑をかけられていましたが、確たる証拠があるわけではありませんでした。加えて、武媚娘が王皇后にかわって皇后になったことから、武媚娘が陰謀を企てたのではないかと考えられたわけです。

しかし、その後どんどん武媚娘は登りつめて権力を手中におさめた為、もはやそれを調べる事もできなくなり、高宗ですらその勢いを止められず、ついに彼女は実の息子が皇帝となったのち、子を押しのけてまで自らが女帝として即位してしまいました。結局真実は闇の中です。

【朝鮮編】禧嬪張氏(ヒビンチャンシ)vs仁顕王后閔氏(イニョンワンフ ミンシ)

武則天のような皇后と後宮の側室達のバトルは、李氏朝鮮でもよく見られました。
特に、王妃という立場は政略結婚が主流です。その為、王も中々そういった女性に興味を示さないことが多かったのです。

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仁顕王后も同じで、19代国王粛宗(スクチョン)との間には結局子ができませんでした。しかし、王にとって、お世継ぎは何よりも必要不可欠なものです。その王の願いを叶えてくれたのが、通常の民衆よりも下位に置かれた身分出身の張氏だったのです。

当然、王は大喜びし、「禧嬪」という高位の称号を彼女に与えました。しかも、あろうことか、仁顕王后は禧嬪一派の策略によって、その地位を廃されてしまいました。

張禧嬪は、王妃として後宮に君臨。張王妃は、次代の王の母として権力を持っていた為、好き放題しました。勿論後宮では大変な贅沢もしました。

これには王も参ってしまいました。

これだけ見ると中国編の王皇后に近いものがありますが、ここで終わらないのが仁顕王后の凄い所です。廃位された閔氏は、貧しい生活にも生きながらえて、その窮状は民だけなく王にも伝わりました。

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多くの人が、彼女が可哀想だ、彼女こそ真の王妃だと復位運動を開始しました。この運動は大きく、禧嬪一派でも抑えることができませんでした。そして、閔氏は仁顕王后として再び返り咲いたのでした。

さて仁顕王后が後宮に戻ってきた以上、張氏は王妃ではいられません。結局日頃の行いの悪かった張氏は、禧嬪に降格させられたのでした。

一時は側室から正室となった女性が、再び側室に戻されるという前代未聞の事態になりました。しかも、張禧嬪の悪行がどんどん追求されるようになり、これは王にも止めることができなくなりました。

最後には、次代の王景宗(キョンジョン)となる王太子の母でありながら、毒薬によって自決されてしまうのでした。

【イギリス編】アン・ブーリンvsキャサリン・オブ・アラゴン

今までと違い、西洋のお話になりますが、似たような現象がイギリスでも起きていました。
イングランド王ヘンリー8世の時代、王妃キャサリン・オブ・アラゴンには、中々男の子が生まれません。男の子の世継ぎが欲しい王は、彼女に冷めていきました。

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そして、王妃の侍女であるアン・ブーリンに手を出して、世継ぎ作りを計画しました。

中国や朝鮮といった東洋と根本的に違うのは、西洋ではキリスト教の教えから、側室を持つことが許されません。同時に妻を持つことができない以上、王は離婚をするしかありませんでした。

しかし貞淑で良妻の(ちなみに王女は産んだ)彼女を追い出すことはできません。そこで王はかなり無理のある名目を立てて、キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚は「無効」だと宣言しました。

しかし、当時の結婚はローマ教皇(カトリック教会)の許しを得ての結婚であり、それを反故にするという事は教皇や教会との断絶をも意味しました。王にとっては、宗教的にも中々辛い決断でもありましたが、それでもアン・ブーリンと結婚したかったのです。

尚、キャサリンはキンボルトン城で、外部との交渉を禁じ、あるいは制限され、最後はそこで亡くなってしまいました。

ところが、王にとってはそこまでしたにもかかわらず、アン・ブーリンには男の子ができません。

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さすがの王もこれには失望します。

瞬く間にアン・ブーリンは王の寵愛を失い、その愛は次の王妃となる(当時アンの侍女の)ジェーン・シーモアへ移ってしまったのでした。そして、アン・ブーリンがキャサリンにしたように、アンも無実の罪(?)で亡くなってしまいました。

ちなみに、ジェーン・シーモアの時代以降も、王は結婚を6度も繰り返すという異様な状況が続けていたので、この時代必ずしも彼女だけが不幸だったわけではありませんでした。

まとめ

王宮において、王の寵愛を得る事は同時に、権力や富、名声を得る事につながりました。当然女達はそれを求めて、激しく競い合ったのです。しかし、そのえげつなく激しい争いは、諸刃の剣でもありました。

そして、人にやったことは自分に返ってくるのです。まさに因果応報だったと言えるでしょう。

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禧嬪張氏(ヒビンチャンシ)もアン・ブーリンも、無残な最後となったのは自業自得でもあったわけです。しかし、同時にそういった人間模様は大変興味深く、多くの映画やドラマでも描かれるようになりました。

アン・ブーリンについては、ナタリー・ポートマン主演の『ブーリン家の姉妹』、禧嬪張氏については『張禧嬪』や『トンイ』ほか多数の作品で登場します。

また武則天(則天武后)についても、リウ・シャオチンの『則天武后』、近年ではファン・ビンビンの『武則天 The Empress』等が、本場中国でも大変な人気を得ました。

人々の心をつかむほど、彼女達の争いは激しいものだったのです。

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