私は、建築が好きな学生です。
先日、東京に存在する建築物の中で、最も権威のある「国立西洋美術館」を訪れました。
今回は、その「国立西洋美術館」を訪れた感想と、その詳細を書いていきます。
「国立西洋美術館」の外観
上野駅を降りたところ、すぐ目の前に広がる上野公園。
その敷地内に、この国立西洋美術館は建っています。
上野公園は、東京文化会館、東京国立博物館、東京都美術館、また東京芸術大学などの、日本の学術の本体ともいえるような施設が、ひしめいている場所です。
普段、私たちが眼にし、空想する「大都市・東京」のステレオタイプなイメージとは一味違った、荘厳で静粛なアカデミックな空間が広がっており、独特な空気感が漂っています。
その中でも、とりわけ駅に近い「国立西洋美術館」は、一見背丈が低く、新しい現代的建築物のような印象を与えてくれます。
しかしながら、近づいてみてみると、年季の入ったレンガ模様の外壁と、近年では見られないような個性的なフォルムに、目を奪われてしまうでしょう。
それはまるで、駅という“日常生活”から飛び出した私たちを、“学識の園”たるこの公園へ誘う「招き人」であるかのようです。
四角く鉄筋コンクリートチックな見た目と、そのたたずまいからにじみ出るモダンの風情。
そして、入口広場に置かれたロダンの著名な彫刻作品「地獄の門」の不可思議さ。
たくさんの要素が相まって、まるで、近代と現代の時間の境目にそびえ立つかのようなこの美術館は、どこか非現実的な空気を纏っています。
View this post on Instagram
「国立西洋美術館」の歴史
国立西洋美術館の歴史は、約半世紀にさかのぼります。
1959年、当時を代表する大資産家・松方幸次郎の手によって収集された美術コレクションを基にして、国立西洋美術館は造られました。
本美術館の設立理由は、少々複雑です。
松方氏は20世紀初め、フランスで美術品を収集し、コレクションとしていました。
しかしながら、第二次世界大戦の敗戦の際に、そのほとんどをフランスを差し押さえられてしまい、松方氏のコレクションはフランスに取り残されました。
View this post on Instagram
その後、彼の「松方コレクション」は、日本に返還される目途が立ちます。
ただし、その際の条件として、当コレクションを保存・展示するための美術館の建造をフランスは要請しました。
その結果として、この美術館が建てられたのです。
日本国内にあるはずなのに「“西洋”美術館」という不思議な名前になっているのも、この由来を考えれば当然のことだと合点がいきます。
「国立西洋美術館」を建てた人
「国立西洋美術館」は、「本館」と「新館」に分かれていて、その2つは設計師も違えば、建てられた時期も違います。
駅から最も近くにある「本館」を設計したのは、近代建築の三大巨匠の一人、ル・コルビュジエです。
彼はスイス生まれで、フランスで活躍した建築家です。
出典:国立西洋美術館
なぜ、そんな人物が日本の美術館を設計したのか。それは彼の弟子が日本人だったからです。
最終的な実施設計・監理には、彼の日本人弟子である前川國男・坂倉準三・吉阪隆正が担当しました。
なお、前川國男は、「新館」の設計の担当者でもあります。
つまり、コルビュジエ本人が、すべてを手掛けているわけではないのですが、日本という極東の地において、西欧の大建築家の精神を目の当たりにすることが出来る、貴重な建築物です。
まとめ
いかがでしたか。
2016年に、フランス政府が日本を含む7か国と共同で推薦していた「ル・コルビュジエの建築作品(7か国17作品)」の1作品として、世界文化遺産に登録された国立西洋美術館。
都内の中心に在り、かつ手軽に訪れることのできる近現代の重要文化財として、一見以上の価値はあると思います。